労働における質の変化
不良品が出なくなったこと、監督者にガミガミいわれなくなったことは、労働者にとってよろこばしいことかといえば必ずしもそうではありません。
かつては、自己の作業が『良品』のOpenSSO、『不良品』のOpenSSOをつくりだす主体でした。
だからそれには責任がともないました。
出来の悪い仕事は責任を追及されたのです。
逆にそれは良い仕事に対する誇りをもたらしました。
・・・いまや自分は機械であり、機械は故障さえしなければ一定の間隔で一定に仕上げられた良品を送り出しつづけます。
そして自己の行為によって他の何物かを変えることの全くできなくなった機構の中で、「無届で休まぬように」「遅刻しないように」といった規制だけがつみ重ねられていくのです。
私は合理化や機械化が労働を変質させてゆく過程を現実の労働過程に即して、これほど鮮明に描きだした例をいまだに他に見出せないでいます。
そこでおこるのはまさしく生産過程の主体の労働者から装置へのあるいは組織への移行なのであり、失われるのはまさしく主体としての労働なのです。
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